マイナビ ツール・ド・九州 2025 レースレポート(住吉宏太選手)

今回のレースレポートでは、最後まで走り抜いた3名の選手それぞれの視点からレポートをお届けいたします。

開催期間:10月10日(金曜日)~10月13日(月曜日)
開催場所:プロローグ:長崎県佐世保
第1ステージ:福岡県筑後~八女
第2ステージ:熊本県南小国~南阿蘇市
第3ステージ:宮崎県延岡~大分県佐伯


第3回目のマイナビ ツール・ド・九州2025は、大変素晴らしい大会でした。
この大会での活躍を願い、今後も努力を続けてまいります。

住吉宏太 選手レポート


佐世保クリテリウム


ツール・ド・九州の前哨戦として、佐世保駅前の特設コースで佐世保クリテリウムが開催されました。
1周1.5kmのコースを30周(合計45km)走るレースで、金曜日にもかかわらず多くの観客の方々が応援に来られ、レースの注目度の高さを実感しました。

ワールドツアーチームやプロコンチネンタルチームも5チーム参戦しており、例年以上にレベルの高いレースになることが予想されました。

私たちのチームはクリテリウムが得意なため、私は最後のスプリントを担当し、他の選手は逃げなどに挑戦する作戦でスタートしました。

スタートすると集団はワールドツアーチームを中心にハイペースとなり、分断されながら進むサバイバルな展開となりました。
私たちチームも前方で展開しようとしましたが、前の集団には私のみが残る状況となりました。

ラスト10周ではさらに集団が割れ、第2集団で粘りましたが、1周が短く、第2集団も降ろされてしまいました。
結果としてチームは最後まで走り切る選手がいない状況となり、レースのレベルの高さを痛感しました。


第1ステージ(福岡)

第1ステージは筑後市をスタートし、八女市の1周16.74kmを6周回する計120kmで行われました。
コースには約1kmのきつい登りや、下りや登りの麓の道が狭い区間があり、テクニカルな場面が多く、位置取りが非常に重要なステージでした。

私たちのチームは阿曽選手と私を中心にレースを展開し、他の選手は走り切って次のステージに進むことを第一に考えて臨みました。
また、士揮選手は先週の「おおいたアーバンクラシック」のクリテリウムで落車の影響が強く、今回はスタートを見送りました。

レースは1周目に7名ほどの逃げグループが形成され、トタルエナジーが集団をコントロールしました。
登りでは毎回位置取りとペースアップがあり、原田選手と竹村選手が集団から遅れ、2周目には下りで落車が発生。阿曽選手と金井選手も巻き込まれました。

阿曽選手と金井選手は復帰しましたが、阿曽選手は怪我の影響もあり走り切ることに専念。
チームは私を中心に戦う形で展開しました。

ラスト2周では逃げグループが吸収され、登り前の位置取り争いが始まりました。
私は50名ほどに絞られた集団の後方で粘りましたが、登りでのペースアップに耐えられず遅れてしまいました。

最終的にはソリューションテックのキリロ・ツァレンコ選手が優勝しました。
私は第3集団の44位でフィニッシュしました。

第2ステージ(熊本)


第2ステージは熊本県阿蘇を舞台に、54.13km+30.36km×2周の計114.85kmで開催されました。
コースには1級山岳があり、総合上位の熾烈な戦いが展開されるクイーンステージでした。

チームは私を前のグループに残し、阿曽選手・金井選手はゴールして最終日に繋ぐ作戦でスタートしました。

レースは予想通り、総合争いで逆転を狙うチームのアタックでハイペースで進みました。
山岳前のテクニカルな下りで集団が割れ、登りでは阿曽選手・金井選手が遅れましたが、私は先頭集団で後半に向けて走りました。

2周目の1級山岳では、集団中程を走りましたが、ペースアップした先頭集団に対応できず、山頂まで半分ほどの地点でドロップしました。
その後は約30名の第2集団で走行し、先頭集団には追いつけず、第2集団で51位でフィニッシュしました。

このステージでは、もう少し粘れば先頭集団に残れたかと思うと悔しかったですが、翌日のステージにチーム3人を繋ぐことができました。

第3ステージ(宮崎-大分)

第3ステージは宮崎県延岡市をスタートし、大分県佐伯市をゴールとする、95.57km+11.84km×2周の計119.25kmで開催されました。

地元のステージであり、連携協定を結ぶ佐伯市をゴールとすることから、多くのファンの皆様が待っておられ、モチベーション高く挑みました。

作戦としては、最終ステージということもあり、総合争いのアシスト陣によるハイスピード展開を想定し、3人で集団に留まり、最後は私でステージ争いをする形でスタートしました。

スタート直後の2kmの登りでも集団はハイペースで進み、遅れる選手も出ました。その中には阿曽選手もおり、怪我の影響で遅れてしまいました。

チームは私と金井選手の2名となりましたが、第2KOM「空の公園」の登り口まで約7km地点でパンク。
サポートカーからホイールを交換し、5kmで集団に合流することができました。

空の公園のKOMでは、集団は凄まじい速さでペースアップしましたが、金井選手と私は集団でクリアしました。
その後、海岸線の平坦区間で先行グループ14名が形成されましたが、追走のスピードが速く集団は再び一つになり、佐伯市の周回コースに入りました。

周回コースには500mほどの丘があり、毎周のアタックで集団が削られ、ラスト1周では金井選手が遅れ、チームは私に勝負を託しました。

フィニッシュ残り1kmではトレンガヌの選手が単独で飛び出しましたが、フィニッシュ前で集団に吸収され、勝負は集団スプリントとなりました。
私はスプリントに備えて前方で位置取りをしましたが、ラスト300mで左右から進路を塞がれ失速し、19位でフィニッシュしました。

サバイバルなステージで最後まで残りスプリントできたことは良かったですが、最後の失速で順位を下げたことは悔やまれます。

大分ステージ結果  19位:住吉宏太



総括

今年も4日間のステージレース「ツール・ド・九州」を終えました。
チームは落車による怪我人も多い中での参戦でしたが、選手一人ひとりが自分のできることを遂行し、Oneチームで戦い抜いた4日間でした。

本来なら6名出走し、6名全員が最後まで走り切ることが理想ですが、このレベルの高いレースで、地元というプレッシャーを感じながら走ることは簡単ではありませんでした。悔しさを噛み締める場面もありましたが、この悔しさが来年のチームの成長につながると感じております。

今年のツール・ド・九州では、住吉選手がステージ最高19位、総合45位(日本人6位)という成績を残し、チームが戦えるレベルに到達していることを実感できました。
また、チーム最年少19歳の金井選手がこのクラスのステージレースを最後まで走り切ったことは、チームとしても大変喜ばしい結果であり、金井選手のポテンシャルや将来性を期待できる内容となりました。

最後に、この4日間を通して現地でたくさんの応援をいただきました。また、配信等でも多くの応援をいただき、誠にありがとうございました。
チームはツール・ド・九州をもって今シーズンの主要レースを終了いたしました。

今年も1年間、たくさんの応援をいただき大変力になりました。ありがとうございました。
スポンサー様、サプライヤー様、ファンの皆様の支えにより、Sparkle Oita Racing Teamは今年も1年間戦い抜くことができました。
2026シーズンに向けて進化したSparkle Oita Racing Teamをお見せできるよう努力してまいりますので、今後ともご支援ご声援のほどよろしくお願いいたします。

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